[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「部下や後輩に仕事を教えてやれ!」
上司からこんなことを命じられたら、あなただったらどうするだろうか。
結論からいえば、絶対に全てを教えてはいけない。あくまで、教えるフリをするだけでいい。
今回は、上司の魂胆を見抜くことができずに、
誠実に部下を育てていった管理職の行き着く先を紹介する。
この管理職がみじめな「負け組」となった理由とは。
今回の主人公
佐藤秀雄(仮名、48歳男性)
勤務先:都内に本社を構える中堅半導体商社。従業員数600人。
創業50年を超えるが、90年代後半からは売上は伸び悩んでいる。
最近は、子会社への出向・転籍もしだいに増え、リストラに近い状態になりつつある。
佐藤秀雄(仮名、48歳)は横浜の自宅に電話を入れた後、宿泊先のホテルで考え込んだ。
ひとりでここ数年に起きたことを冷静に振り返りたい、と思ったのだ。
今日、直属上司と人事担当役員との3者面談が行われた。前々からうすうす感じていたが、
やはり、いま出向している子会社に「転籍」することが決まった。
「転籍」後は、年収はいまより3割近く減ることになる。
本来、「転籍」には、その社員の同意が必要である。
しかし、佐藤にはそれを断り、親会社に戻って働く気力がもうなかった。
いまは、虚脱感のほうが強い。
佐藤は3年半前、この会社に「出向」した。
それ以前は、親会社の営業部に15年程籍を置いてきた。
取引先である大手メーカーから、半導体の部品を受注することが主な仕事だった。
営業成績は、一時期は伸び悩むことがあったが、おおむねよかった。同期生12人の中では、
3番目に早く課長に昇格した。佐藤自身も、「役員はともかく、
部長にはなれるだろう」と思い込んでいた。
その考えは、甘かった。課長になった直後に仕えた上司(部長)とは、
機会あるごとに意見がぶつかった。特に、営業の進め方について、大きな隔たりがあった。
会議の席で、部下たちの前で口論になったこともある。
これまで、東京本社を皮切りに、
高崎(群馬県)、金沢(石川県)、名古屋(愛知県)などの支社にも勤務してきたが、
これほど意見が食い違う上司はいなかった。佐藤はやがて、自分のまわりで何かが動いている気がしていた…。
ある日、部長が佐藤に命じた。「後輩の森田を育ててやってくれ!」
森田とは、2歳年下の営業マンである。役職は課長補佐。佐藤には、この指示が理解できなかった。


04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |